Holding a donut box while looking at the opposite shore.

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パンデミックが始まってからもうすぐ1年が経ちいろんなことが強制される不自由な生活にそろそろ疲弊し心が日に日に閉ざされていくのがわかる


この閉塞感はどこから来ているのだろうかとしばらく考えた結果 今まであった選択肢が突然奪われてしまったことに起因していると思った

 

以前私はこんなtweetをした


何かを選択するたびに疲弊し傷付くが何もかもが不明確な世界において選ぶという行為を通して私は自分の人生の舵を握っていると信じることができる


私は自分に選択肢がある状況が好きだ

 

人生は無数の選択の結果だと考える人もいるだろうが 私は人生の殆どが個人の力が及ばないところで出来上がっていると考えている


選択という行為が環境からの影響を大いに受けること また人は自分の選択を肯定する傾向にあるという心理学的側面を知りながらそれでも私は選択という言葉が好きだ

 

心理学者のIyengar Sheenaの著書『The art of choosing』にこんな言葉がある


“わたしたちは自分が何らかの理由で行った選択によって記憶を隅々まで星のように照らし出し、それを頼りに旅を続ける。......選択という言葉を使うことで人生という未知の海を航海する方法を見出し、思いがけない波の動きを愛でることさえできる。”


私は彼女の言葉をこう解釈する


複数の要因が重なり受動的におこなった行動も 私達は振り返るときに 能動的に選択したと信じることで 自分の人生を一連のものとして解釈し今に繋がる過去を肯定できるようになる その上に過去の肯定は未来を生きるための光となる

また 自分は自分の人生を数々の選択によって作り出していけると錯覚することは 不透明な未来を怯えずに生きていくための方法になりうるだろう

 

今の私は 不透明で先行きが見えない中 握ってた舵をいきなり奪われ ただ霧が晴れるのを 座って待っているしかできない


 今すぐできるだけ遠くに行きたいのに そう思いながら私はドーナツの箱を抱えたまま対岸をみつめている