祝日

 

12月が風の速さで駆け抜けていき呆気なく年が変わる前に何か書き留めて置こうと思い 1年前にひそかに使っていたブログをまた使うことにした 言葉を用いて表現することに対してただ無知や語彙の乏しさをひけらかすようで恥ずかしいという気持ちを抱えつつ 表現をする手段を持ちたい/せざる得ない ので書こうと思う

 

2019年の9月 地獄のような日常が途切れなく続いていくことを怯え 遠くの生活を求めて渡米してからおおよそ1年4ヶ月経った この長い期間で自分にとっていくつか大きな変化があった

1 使える言語が2つになりそのおかげで受け取る情報や考え方 楽しめる文学や映画の数が何倍にもなったこと

2 自分との向き合い方の変化 定期的に抑鬱状態になる原因が精神的問題のみによるものだと長い間信じてきたが それ以外の要因 例えばHSP (Highly sensitive person)  PMS (月経前症候群) Seaspnal affective disorder など影響を与えている可能性を考慮サプリメントをとったり運動したり食事の栄養を考えたりするようになった 抑鬱状態で寝ること以外できない期間をあまり作らないためのケア  

3 人との生活を初めて楽しめるようになったこと 同居人との暮らしの中で他人との適切な距離のとり方や人に頼る・頼られ方 適度に思いやることなどを試行錯誤してようやくみつけた

 

最後に来年できればいいと思うこと

ヒザによって制限されないオンラインの仕事をすること

自分の精神状態と健康を地続きに考えてセルフケアすること

 

タイトルはカネコアヤノの曲から

数年前の冬 好きな人と過ごした時間やこれから過ごす時間に思いを馳せながらいつも聴いていた曲が いつから抱えきれなくなったいくつもの記憶を再生するようになり暫く避けるようになった これを書きながら聴いていたプレイリストから流れてきた曲はもう悲しい記憶を想起させずあれから経った時間のことを思う

昨年の9月にバスの車窓から見た光り輝く街はいつの間にか日常の一部になり また遠くにあるものを見つめてしまう どうして私から遠いものはいつだって光って見えるのだろうか 日常から紡ぎ出される詩が好きなのに 私はこれから何処へいくのだろうか