寒さが続く

 

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朝、ポリスにしては比較的物腰の柔らかい2人がやってきてLondon fogとアメリカーノを1つずつ注文して席に座る、私はマグカップいっぱいに注いだドリンクを席まで運び、愛想の良い笑顔を数秒見せて無表情でカウンターまで小走りで移動する。今朝のカフェはとても静かだ。持ち帰り用のペーパーバッグに無心でスタンプを押し続ける。身体を機械のように効率良く動かすことにだけ集中しているときに感じる精神の落ち着きが心地よい。その間、同僚 (腕に漢字と菊のタトゥーが入った中年の女性) が何かを話しかけてくるが適当に相槌を打つ。彼女はいつも自分の話したいことを自分の話したい時に話してくるのでいつも片耳でしか話を聞かないようにしているが、彼女は私の愛想の悪さに気付いてないだろうし、一生気付かないだろう。

 

昼食の時間に近づくにつれて少しずつ客足が多くなる。エスプレッソショット2杯分の豆を引く時間10秒、抽出に33秒、その数十秒間に客が注文したパンをオーブンに入れて温める。自分が設定したオーブンのタイマーとエスプレッソマシンのストップウォッチに行動を制御させられながらリズミカルにタスクをこなしていくことに達成感を覚える自分に嫌気が差す。本当はパンを丸焦げにしても水みたいなエスプレッソを入れても明日もまた同じ場所で同じ仕事をすることになるので放っておけば良いのだがそれらの時間が一瞬だけでも私の生活で1番重要になる瞬間あり嫌だ。

 

カフェには20人ぐらいの常連客がいて毎日その人達の様子を少し離れた視点から眺めることだけが唯一の楽しみである。そして、毎日顔を合わせ会話を重ねながらも可能な限り親密にならないよう気を配っている。他人の生活は離れたところで垣間見ているのが1番面白く美しいと思うから。

 

職場で色んな人に出会った。毎度の如くほとんどの人と気が合わず簡単な会話をする時でさえ自分を奮い起こさないと気持ちの良い相槌すらうてなくて毎やり取りに疲弊する。客にクィンアマンがどんなものか尋ねられたときに毎回「説明が難しいから代わりにクィンアマンのルーツの話をしましょう」と3分間のスピーチをするマネージャーは数週間前に突然仕事を辞めてくれ少し気が晴れた。全員変わってるな〜と思っているが、全員が私のことを変だと思っているようで心外です。明日も無料でカフェモカを飲むためだけに退屈で憂鬱な仕事場に行くことになる。

紅茶と珈琲を交互に飲む



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久しぶりにはてなブログを開く

やっぱり日記を書くことを続けられない

 

寒くなってから、良くなりかけていた体調が振り出しに戻り1日の活動時間が僅かになり、その中で渡航の準備を進める。

毎日渡航先の天気予報を見て憂鬱になる。BC州はカナダの他州と異なり温暖な気候である故に冬季は連日雨が続く。2回の冬をVictoriaで過ごし、日光不足で季節性の鬱になることが予想できるのでdepressionへの対策としてランニングを始めることを決意する。

昨日は先週購入したランニングシューズを試す目的で憂鬱な身体を気合で家から引きずり出して近くの公園まで走る。

店員が言っていた通り一歩目が出しやすい厚底のシューズの履き心地が楽しくてつい足取りが早くなり途中で心臓が痛くなる。

暫く走ると身体がリズムを覚え行動が自動化する瞬間がありその間だけ無心になれる。疲れてきた頃にそれでも尚走り続けることで纏わりついた重さを後ろに置いていく感覚を覚える。懐かしさがこみ上げる。この感覚は昔、水泳選手だった時に毎日私を救ってくれていた。

夜はいつもより沢山ご飯を食べ朝までぐっすり眠り事ができた。

運動に喜びや楽しさを見出すことはできないがセルフケアとして運動の大切さを思い知る。

渡航まであと19日

 

和歌山のnormで行われるHan Yun Liang さんの展示に行きたい、その後窓話で夜ご飯をゆっくり食べたい。きっと忘れられない日になるだろうに多分行くことはないだろうな。

和歌山で息ができる数少ない場所だったnormと窓話が懐かしい 帰ってきてたときにまだそこにあってほしいと思う

https://www.instagram.com/tv/CV4Fb4_gDFI/?utm_source=ig_web_copy_link

 

 

 

 

昨夜の夢 周りにいた人が2人高い建物から飛び降りて自死するところを見守り私の順番が来るところで目を覚ました。 

私はいつでも死んでしまいたいが、他人の死はいつでも限りなく辛い。自分勝手も甚だしいがみんな生きていてほしいと思っている。一方、私は生きていくのがひどく苦しい。幼い頃を振り返っても調子が良かった時間が思い当たらない。ずっとよくわからないまま辛いく暗く孤独な時間を過ごしてきたけれどそろそろ疲れてきた。もうこれ以上死にたいと思いながら生きていたくないし孤独になりたくない、うっかり死んでしまうことを期待してお酒を飲んで海の近くを彷徨ったりするのをやめたい。

港で待ち合わせ

港で待ち合わせをした 近くにあるベンチに座って連絡を取り合わなかった間の出来事を話し合う ベンチの前には植え込みがありそこを3匹の小さいネズミが行き交っている 秋のよく晴れた日 夕日が水面に反射し輝く 人通りが多く賑やかな夕方だった 私達はいつもそうしてたように隣に座り空が暗くなるのを待っていた 

Cross the sea

個展に行ったり詩を呼んだり人と話したりして急に日記を書きたくなった。定期的にこういう気持ちになるけれど日記を書くことはいつまで経っても続けられない。 

 

朝起きて、病院に行く前に3行の手紙を書きながら私は忘却のために言葉を使うことが多いとなと思った。頭の中に漂っている非言語的何かを言語化すると満足してそれを手放すことができることができる。だから記憶するために葉を使うことに興味がない。それは写真も同じかもしれないなと思っている。最近現像したフィルムの中に、記憶していた情景がほとんどなかった、フィルムカメラはよほど心が動かされないと使用しないのに。勿論、写真を見て想起させる記憶はある。忘れるために写真を撮るなら現像する意味がないかもしれないが、一度忘れた記憶を取り戻す体験が楽しいので続けている。

3行の手紙が海を渡る頃には私は書いた言葉をすべて忘れる。その手紙は届けられるべきではないのかもしれない。知らない街のポストオフィスの棚の隙間に落ちて一生見つけられないでいたらいいと思う。

 

フィルムを現像するまで、帰国のために2年間住んだ街からフェリーに乗って空港に向かう途中に見た海の光のことも、どうせなら曇りが良かったと泣きながら書いた言葉のこともすっかり忘れていた。

 


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I am slowly but surely carried by a ferry  through many particles of light on a bright day. 

As I am moving forward, memories which I have tried to hold on slipping my mind, and remain on the surface of the water.

I am looking at the different shades of blue, while you are thinking about dogs in a light blue room.

Crossing a sea is creating the past.

 

p.s. 英語の誤りは多めに見てください…学習中です

 

雨音を聞いて目を閉じている時


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雨が振り続けている 秋の始まりのように涼しくて気持ちが高揚する 雨音を夜聞きながら眠りにつくのが好き

 

帰国して3週間程経った 何処に居ても同じ生活を繰り返し、同じようなことで悲しむだけで大して何も変わらないなと思う 海が遠くなって散歩に行かなくなったぐらいだと思う 何処に居ても人は変わらないなんて周知の事実であり 私も頭で理解しつつも新しい生活に期待を持って海を渡ったような気がする 真新しかった景色がすっかり日常のものになった時の落胆を覚えている気がする

2年間使われていなかった自室に入ってようやく自分が暫くの間ここに居なかったことに実感が伴った 自分は何処か遠くに行っていたらしいという実感 止まった時間からでしか記憶に確信が持てない 

 

住む場所なんてどこでもいいと思いつつ遠い街にある生活に想いを馳せることがやめられない 日常生活の退屈さを受け入れるのが苦手だと気付いたのは最近のことだ 自室で好きな物に囲まれていると今までの仮の生活に心底うんざりしてくる そろそろ定住したいが無数にある選択肢の中から一つの場所を選ぶことに疲弊する 私の選択に私の人生を変える力などないのに 人生の偶然性を信頼したい

 

雨の音を聞きながら目を閉じていると

地球に居ることを思い出す 

人間の居場所である星のことを