前勤務が地方の大学病院で自分なりに死と向き合った時間があり あまり死にたいなどと簡単に言葉にしたくないが生きることをやめたくなる瞬間を何度も乗り越えてきた人生だ 困難を人と比較するなどnonsenseだと重々承知したうえで言うけれど 人と比べ過去にトラウマを作り出すほど強いダメージを与えるようなことが起こったことなんてないのにも関わらず精神を蝕まれるほど苦しみ続けていることが一番の問題に感じる

この死にたいとしか形容できない苦しみや悲しみとあと何回対峙しないといけないのかと考えを巡らせると辛くなる一方だ 

私は産まれてきたことを生涯恨み続ける 

本当はこんなキリの無いことで泣く暇があるんだったら本を読んだり眠った方が良いとわかっているが そう上手くコントロールできないのが感情である(私にとって

あまりにも苦しくて3時間ほど泣き続けたが生きるしか無いということは分かりきっている 

待ち時間

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今日は日曜日で先週は一週間は久しぶりに天気が良かった いつも天気に左右される体調なのだがここ数日前触れもなく理由もわからず体調を壊している とにかく何に対してもやる気が出ない 朝起きること 夜寝ること ご飯を食べること お風呂に入ること もちろん勉強も 唯一できるのがサワードウブレッドを作ることぐらいで作っては反省点を挙げ 原因を推測して 改善策をYoutubeで調べることを繰り返している サワードウブレッドとは小麦粉やライ麦粉と水を混ぜてサワー種という酵母や乳酸菌を含む種を作りそれをイーストの代わりに使用し作るパンのことをいい 去年の春 パンデミックで家にいる時間が多くなり何か新しいことを始められないかと思って思いついたのがサワードウブレッドを作るであった あれから夏にオーブンが壊れ 冬には試験があり忙しくて冷蔵庫に放ったらかしにしていたサワー種を今年になって取り出してきたわけだ

このパンを作る工程には生地を休ませる時間が何度もあり「待ち時間」があることがとても気に入っている 今もこうしてその待ち時間に久しぶりの日記を書いている そういえば昔から私は待ち時間や移動時間など限られた時間に作業をするのがとても好きだ 学生の頃毎日2時間かけて電車で通学する間 読書や勉強をしたりメールの返信などをして有意義にその時間を使っていた なにかの予定と予定の間に発生するこの時間には何故たが やりたいこと・やらなければいけないことが大抵捗ったのだ

1日の殆どを家ですごし毎日のスケジュールの決定権がすべて私にある生活をしていると あの限られた自由時間が恋しくなる 私は毎日自由であるのに不自由だと感じる 1日の予定の大きな枠組みぐらいは誰かに決めてもらいたくてサワードウブレッドを作るのかもしれない

明日は必ず朝に起きて仕込んだ生地の様子を見ないといけない そんな予定があるのが心地よい

 

Holding a donut box while looking at the opposite shore.

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パンデミックが始まってからもうすぐ1年が経ちいろんなことが強制される不自由な生活にそろそろ疲弊し心が日に日に閉ざされていくのがわかる


この閉塞感はどこから来ているのだろうかとしばらく考えた結果 今まであった選択肢が突然奪われてしまったことに起因していると思った

 

以前私はこんなtweetをした


何かを選択するたびに疲弊し傷付くが何もかもが不明確な世界において選ぶという行為を通して私は自分の人生の舵を握っていると信じることができる


私は自分に選択肢がある状況が好きだ

 

人生は無数の選択の結果だと考える人もいるだろうが 私は人生の殆どが個人の力が及ばないところで出来上がっていると考えている


選択という行為が環境からの影響を大いに受けること また人は自分の選択を肯定する傾向にあるという心理学的側面を知りながらそれでも私は選択という言葉が好きだ

 

心理学者のIyengar Sheenaの著書『The art of choosing』にこんな言葉がある


“わたしたちは自分が何らかの理由で行った選択によって記憶を隅々まで星のように照らし出し、それを頼りに旅を続ける。......選択という言葉を使うことで人生という未知の海を航海する方法を見出し、思いがけない波の動きを愛でることさえできる。”


私は彼女の言葉をこう解釈する


複数の要因が重なり受動的におこなった行動も 私達は振り返るときに 能動的に選択したと信じることで 自分の人生を一連のものとして解釈し今に繋がる過去を肯定できるようになる その上に過去の肯定は未来を生きるための光となる

また 自分は自分の人生を数々の選択によって作り出していけると錯覚することは 不透明な未来を怯えずに生きていくための方法になりうるだろう

 

今の私は 不透明で先行きが見えない中 握ってた舵をいきなり奪われ ただ霧が晴れるのを 座って待っているしかできない


 今すぐできるだけ遠くに行きたいのに そう思いながら私はドーナツの箱を抱えたまま対岸をみつめている

祝日

 

12月が風の速さで駆け抜けていき呆気なく年が変わる前に何か書き留めて置こうと思い 1年前にひそかに使っていたブログをまた使うことにした 言葉を用いて表現することに対してただ無知や語彙の乏しさをひけらかすようで恥ずかしいという気持ちを抱えつつ 表現をする手段を持ちたい/せざる得ない ので書こうと思う

 

2019年の9月 地獄のような日常が途切れなく続いていくことを怯え 遠くの生活を求めて渡米してからおおよそ1年4ヶ月経った この長い期間で自分にとっていくつか大きな変化があった

1 使える言語が2つになりそのおかげで受け取る情報や考え方 楽しめる文学や映画の数が何倍にもなったこと

2 自分との向き合い方の変化 定期的に抑鬱状態になる原因が精神的問題のみによるものだと長い間信じてきたが それ以外の要因 例えばHSP (Highly sensitive person)  PMS (月経前症候群) Seaspnal affective disorder など影響を与えている可能性を考慮サプリメントをとったり運動したり食事の栄養を考えたりするようになった 抑鬱状態で寝ること以外できない期間をあまり作らないためのケア  

3 人との生活を初めて楽しめるようになったこと 同居人との暮らしの中で他人との適切な距離のとり方や人に頼る・頼られ方 適度に思いやることなどを試行錯誤してようやくみつけた

 

最後に来年できればいいと思うこと

ヒザによって制限されないオンラインの仕事をすること

自分の精神状態と健康を地続きに考えてセルフケアすること

 

タイトルはカネコアヤノの曲から

数年前の冬 好きな人と過ごした時間やこれから過ごす時間に思いを馳せながらいつも聴いていた曲が いつから抱えきれなくなったいくつもの記憶を再生するようになり暫く避けるようになった これを書きながら聴いていたプレイリストから流れてきた曲はもう悲しい記憶を想起させずあれから経った時間のことを思う

昨年の9月にバスの車窓から見た光り輝く街はいつの間にか日常の一部になり また遠くにあるものを見つめてしまう どうして私から遠いものはいつだって光って見えるのだろうか 日常から紡ぎ出される詩が好きなのに 私はこれから何処へいくのだろうか